カレン・シルクウッド



カレン・シルクウッド(Karen Silkwood 1946年2月19日生)
 [アメリカ・化学技術者/労働組合活動家]


 シルクウッドはオクラホマ州クレッセントの近くにあったシマロン核燃料製造所に勤める化学技術者で、核燃料棒に詰めるプルトニウムペレットの製造に従事していたが、プラント内で行われていた多数の不正行為に気づいた。その事実をアメリカ原子力委員会 (AEC) に証言した後、シルクウッド自身の体が、プルトニウムによる不審かつ深刻な汚染を受けていることが判明。彼女はこれらの事実を公衆に告発するため、証拠書類を持ってニューヨーク・タイムズ紙の記者に会いに行く途中で、不審な自動車事故により死亡した(他殺の可能性が論議されている)。シルクウッドのプルトニウム汚染発覚から不審死に至るまでの一連の事件は、いわゆる「シルクウッド事件」として、一大原子力スキャンダルに発展し、1983年には『シルクウッド』というタイトルで映画化もされている。

 テキサス州ロングヴュー生まれネザーランド育ち。同州ビューモントにあるラマー州立カレッジに入学した。1965年、石油パイプラインの労働者であったWilliam Meadowsと結婚し、3人の子供をもうけたが、1972年に離婚。オクラホマシティーに移り短期間病院の事務員として働いた。

 カー・マギー社に雇用されてから、シルクウッドは石油・原子力労働組合地方支部に加盟し、プラントのストライキに参加した。ストライキの終了後、組合の交渉委員会の委員に選出され、健康と安全問題についての調査任務を割り当てられた。シルクウッドは、欠陥のある呼吸装置や不適切なサンプルの貯蔵によって、労働者の汚染物質への暴露など、おびただしい健康規則違反を引き起こしていると考えた。彼女は、十分なシャワー施設の欠如が従業員への汚染リスクを増加させているとも考えた。

 1974年夏、シルクウッドはアメリカ原子力委員会において証言し、生産のスピードアップのために従業員たちは貧弱な訓練のもとでタスクを与えられ、安全基準は無視され、そしてカー・マギー社の従業員は燃料棒を不適切に扱っており、会社は検査記録を改ざんしていると告発した。

 1974年11月5日、ルーチンの自己チェックを行ったところ、自分の体が法定基準のほぼ400倍に達するプルトニウムで汚染されていることを発見する。彼女は、プラントで除染を受け、追加分析のために尿と大便の収集キットを与えられて、自宅に戻された。奇妙なことに、彼女が使用したグローブの外側の表面にはプルトニウムが付着していたが、グローブ自体にはどのような穴も開いていなかった。これは、汚染がグローブボックスの内側ではなく、他の場所に由来することを示唆していた。

 翌11月6日朝、組合の交渉会議に向かう途中で、再度プルトニウムに陽性反応が出た。この朝はペーパーワークしか行っていなかったことから、これは驚くべきことであった。シルクウッドはさらに入念な除染を受けた。11月7日、プラントに入る際、シルクウッドの体が深刻な度合いで汚染されていること、シルクウッドの呼気でさえ危険であることが発見された。放射線医学のチームがシルクウッドともにシルクウッドの自宅を訪れ、屋内のいくつかの表面、特に、バスルームと冷蔵庫、にプルトニウムの痕跡を発見した。この家は後に解体され除染されている。シルクウッドと彼女のパートナー、およびハウスメイトはロスアラモス国立研究所に送られ、彼らの体の中が、どれくらい汚染されているかを突き止めるため、多層的検査が行われた。

 論議は、シルクウッドがこの3日の間にどのように汚染されたかに集中していた。シルクウッド自身は、自分は悪意に満ちた攻撃の犠牲者であり、彼女に与えられた試験用採取ビンには、前もってプルトニウムが混入されていたと主張していた。バスルームの汚染は、彼女が11月7日に朝に、尿サンプルをこぼした際に発生した可能性があった。これは、彼女が家で採取したサンプルは異常に高いレベルで汚染されていたが、プラントとロスアラモスで新鮮な採取ビンを用いて採取されたサンプルの汚染は、それよりも大幅に低かった事実と符合する。

 カー・マギー社の経営陣は、会社にネガティブなイメージを与えるために、彼女が自分自身を汚染したと主張した。プラントのセキュリティーは極めて緩く、労働者は完成したプルトニウム・ペレットを容易に持ち出すことができたとされている。

 シルクウッドは、自身の主張を立証するための証拠書類を収集していると述べていた。彼女は、今こそ公衆に訴える時であると決断し、このストーリーを紙面にする準備を行っていたニューヨーク・タイムズ紙の記者と接触した。1974年11月13日、シルクウッドはクレッセントのHub Cafeで行われた組合の会合に出席した。会合の出席者の一人は、シルクウッドがバインダーに挟んだ書類の束を持っていたと証言している。会合の後、シルクウッドは自分の車に乗り込み、ニューヨーク・タイムズの記者David BurnhamとSteve Wodkaに会うため、一人で約30マイル離れたオクラホマシティにある、組合の事務所に向かった。

 11月13日の深夜、道から外れ、用水路に衝突した状態の車の中から、シルクウッドの死体が発見された。車の中には書類はなかった。彼女は、典型的な居眠り運転により、事故死したと発表された。現場にいた警官によると、車の中に鎮静剤のメタクアロンの錠剤が1錠か2錠あり、マリファナも発見された。警察の報告書は、彼女が運転中に眠ったことを示唆している。検視官は、死亡した時シルクウッドの体内には血液100 ミリリットル当り0.35ミリグラムのメタクアロンが存在していたことを突き止めたが、これは推奨服用量 (これでも眠気が起きる) のほとんど2倍に当たるものであった。

 しかし、シルクウッドは意図的に事故を起こそうとした別の車に背後から衝突され、これが彼女の死を引き起こしたのだと主張する者もいる。シルクウッドの車のスリップ痕が道路上に残っており、これが何人かに、シルクウッドは背後から衝突された後、必死になって道路へ戻ろうと試みていたという考えを想起させている。また捜査官たちは、シルクウッドの車の後部に損傷を確認したが、彼女の友人と家族によれば、事故の前にはその損傷はなかったという。衝突は、完全な前部衝突であったはずであり、そうなると彼女の車の後部の損傷は説明がつかないことになる。シルクウッドの車の微視的な検査は、後部からの別の車の衝突に由来する可能性のある、塗料の破片の存在を明らかにした。

 シルクウッドの家族は、彼らが知る限りでは、シルクウッドは他の車と、どのような事故も、あるいは小事故も以前に起こしたことはなく、運転していた1974年製ホンダ・シビックは中古車として購入されたものではないと主張した。さらに、この車については、以前に、いかなる保険金請求もなされたことはなかった。

 シルクウッドの親類は、シルクウッドは間違いなく書類を車の助手席に置いたと証言したが、事故後車内から書類は発見されなかった。この事実から、シルクウッドの告発を阻止するために事故が仕組まれ、事故後車内から書類が盗まれたのだという主張がされることになった。シルクウッドの家族によれば、死の直前、シルクウッドは何回か脅迫電話を受けていた。しかし、このようないやがらせの存在についての推測は、まだ実証されていない。

 シルクウッドの体組織は、原子力委員会と州医学調査官の求めに応じて、ロスアラモス組織検査プログラムの一環として分析された。放射能の大部分は肺から見つかり、プルトニウムが吸引されたことを示唆していた。さらに組織の分析を進めたところ、2番目に高い集積部分は彼女の胃腸であることが判明した。

 シルクウッドの死にまつわる疑惑は、プラントのセキュリティーと安全に対する連邦捜査に発展し、ナショナル・パブリック・ラジオは不適切に保管されていた44から66ポンドに上るプルトニウムに関する報道を行った。シルクウッドの物語は、原子力の危険性を強調することとなり、また企業の説明責任と責任に関する疑問を提起した。カー・マギー社は、この核燃料プラントを1975年に閉鎖している。

 1974年11月13日死去(享年28)


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ