中川一郎



中川一郎(なかがわいちろう 1925年3月9日生)
 [政治家]


 北海道生まれ。北海道庁立十勝農業学校、宇都宮高等農林学校を経て1947年9月、九州帝国大学農学部農業工学科卒業。中川個人の希望としては農林省の役人になりたかったが、東京にいたのではメシが食えないと懸念し、自ら志願して北海道庁に入った。

 1963年、旧北海道5区から第30回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選。以後、連続当選7回。田中内閣で大蔵政務次官に就任した後、1977年に福田内閣改造内閣で農林水産大臣、鈴木善幸内閣では科学技術庁長官に就任した。

 1982年、鈴木善幸の後継を狙い、自民党総裁選にいち早く名乗りを上げるも予備選で最下位に敗れた。

 1983年1月9日早朝、宿泊先の札幌パークホテルのバスルームで死亡しているのを夫人が発見。当初、死因は急性心筋梗塞ということだった。ところが、2日後の11日になって、死因は首吊り自殺であったことが発表された。

 その死にはいくつかの疑問点があるとして、自殺か他殺か今もって議論されることがある。前年の総裁選での惨敗の影響が指摘され、総裁選後、中川は「夜、眠れない」と強く訴えるようになり、睡眠薬を服用していたという。

 不審な点としては、死亡してから僅か2日後に荼毘に付されており遺体の検証も十分でなかったと指摘する声もあった。一般に、大物政治家であれば遺族は党との相談で葬儀をする事情から死亡してから数日間はそのままの状態で置かれる場合が多いが中川の場合、あまりにも荼毘に付すのが早いと思われた。また、中川は遺書らしいものは何も残していなかった点もあげられる。

 そして謎の人物の存在である。それは、死亡推定時刻のわずか1時間前に中川は中川事務所の幹部に電話をかけた。色々な相談事を幹部に話していたが、その途中「やぁ、やぁ」と誰かに呼びかける様子で突然電話を切ってしまったという。突然、中川の部屋に入ってきた人物が誰だったのか、いまだに解明されていない。ソ連寄りの中川を煙たがった米国CIAが暗殺したのではとの噂もあったが、いずれも憶測の域を出ない。

 1983年1月9日死去(享年57)


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