マイアミ・ショーバンド



マイアミ・ショーバンド虐殺事件(1975年7月31日発生)
 [北アイルランド紛争が特に激化していた1970年代に、人気バンドグループに起こった痛ましい悲劇。]


 マイアミ・ショーバンドは1962年に8人組グループとして活動を開始。その後、メンバーの脱退・加入を経て、事件の起きた1975年には6人組グループとして、アイルランドでは若い女性を中心に人気のポップスバンドグループであった。

 1975年7月31日未明、北アイルランドのダウン州バンドブリッジという町でコンサートを終えた彼らがダブリンへ戻る途中、悲劇は起きた。ニューリーへと南下する道路を走行中、バンドメンバーの乗ったミニバスはアルスター義勇軍(UVF)によって、停車を命じられた。UVFはバンドメンバーを道路脇に一列に並ばせると、ミニバスに時限爆弾を仕掛けはじめた。再びバンドメンバーを乗せたミニバスが国境を越え、アイルランド共和国へ入った所で爆発するよう仕組んでいた。しかし仕掛けている最中に爆弾が誤爆し、UVFの2人の兵士は即死した。すると、呆然とその場に立ち尽くすバンドメンバーへ向けて、UVFの攻撃が始まった。

 トランペッターのブライアン・マッコイは、背中に9発の銃撃を受けて死亡。リードシンガーのフラン・オトゥールは、正面から22発もの銃撃を受け死亡。ギタリストのトニー・ジェラティーは、命乞いしたにも関わらず、後ろから4発撃たれて死亡した。

 ベーシストのステファン・トラバースは、ダムダム弾による攻撃を受け重傷。サックスプレイヤーのデス・マカレアは、爆発の威力により吹き飛ばされたものの重傷を負うのは免れた。残る一人、ドラマーのレイ・ミラーは、この日は車に乗っておらず、メンバーと別行動をしていた。

 この虐殺行為を行ったUVFの兵士3名は、1976年10月15日、終身刑の宣告を受け服役するも、1998年のベルファスト合意のもと釈放された。

 悲劇を生き延びた3人のメンバーは、新メンバーを迎えて音楽活動を再開。その後、1986年まで活動を続けた。1990年代半ばからはジェリー・ブラウンがマイアミ・ショーバンドの名前を引き継ぎ、2005年には元メンバー3人を迎えて、メモリアルコンサートを行った。


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