櫻隊



櫻隊(1945年8月6日発生)
 [櫻隊は、かつて存在した日本の劇団。広島での慰問巡演活動中に原爆投下の被害を受け、宿舎兼事務所にいた俳優ら9人が死亡した。]


 1942年、苦楽座結成。地方への慰問巡演活動をはじめる。1943年12月24日、苦楽座解散。1945年1月、日本移動演劇連盟に組み込まれた苦楽座移動隊として再出発。2月から3月にかけて広島公演。6月、広島への疎開に際して、櫻隊と改称。15人が広島に疎開し、中国地方を中心に公演活動、その合間に稽古や防空壕掘り、建物疎開作業などの作業を続ける。7月6日の島根県での公演を皮切りに、島根・鳥取両県の8ヵ所でつごう10回の公演を済ませ、7月16日に広島に帰還。

 1945年8月6日、広島市堀川町99番地の宿舎兼事務所にいた9人のうち、俳優の森下彰子、羽原京子、島本つや子、裏方の笠絅子、小室喜代の5人は即死。8月16日、丸山定夫は厳島の存光寺で死去。園井恵子と舞台監督の高山象三は、園井の神戸市の知り合いの家に助けを求めたが、高山象三が8月20日、園井恵子は8月21日に死亡。仲みどりは、東京の実家に戻り、8月16日に東京帝国大学付属病院に入院、都築正男教授による手厚い治療を受けるが、8月24日死亡。

 苦楽座のメンバーでも、櫻隊に参加しなかった者もおり、同じ櫻隊所属でも、様々な事情から被爆を免れた者がいる。利根はる恵は病気のため、疎開せず東京に居残り、最年少の佐野浅夫は1945年3月に本土決戦特攻隊員として出征。多々良純は、同年6月に応召され、八田元夫はたまたま連絡のため帰京。池田生二は空襲にあった妻の沼津の実家を見舞いに行き、槙村浩吉は俳優を探すため上京。千石規子は、出産で広島を離れていたため、それぞれ難を逃れた。苦楽座の結成メンバーである薄田研二、徳川夢声、藤原釜足も東京で映画の撮影などをしていて、難を逃れている。また、東宝の専属俳優久松保夫は、丸山定夫から櫻隊への参加を誘われるものの、東宝の許可がでずに断念。川上夏代も、櫻隊の島木つや子が広島への疎開に同行する際につや子の母親からも櫻隊への参加を強く勧められたが、俳優座に入るために固辞した。また、櫻隊の広島疎開には珊瑚座という移動劇団が同行し、広島市内の同じ宿舎を拠点にしたが、7月末に厳島の寺に移動して結果として原爆の被害を免れた。

【主な犠牲者】
俳優
 ◇丸山定夫、1945年8月16日死亡(44歳)原爆症

 ◇高山象三、1945年8月20日死亡(21歳)原爆症

女優
 ◇園井恵子、1945年8月21日死亡(31歳)原爆症

 ◇仲みどり、1945年8月24日死亡(36歳)原爆症

 ◇森下彰子、1945年8月6日死亡(23歳)家屋倒壊による即死

 ◇羽原京子、1945年8月6日死亡(22歳)家屋倒壊による即死

 ◇島木つや子、1945年8月6日死亡(22歳)家屋倒壊による即死

裏方
 ◇笠絅子(島木つや子の母)、1945年8月6日死亡(41歳)家屋倒壊による即死

 ◇小室喜代、1945年8月6日死亡(30歳)家屋倒壊による即死


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