ソユーズ11号



ソユーズ11号(Soyuz 11 1971年6月30日発生)
 [ソビエト連邦の有人宇宙船ソユーズ11号は、世界初の宇宙ステーション、サリュート1号へのドッキングに初めて成功したが、大気圏再突入の準備中に宇宙船内の空気が失われ、搭乗していた3人の宇宙飛行士が窒息死するという悲劇に終わった。]


 ソユーズ11号は1971年6月6日にカザフ・ソビエト社会主義共和国(現:カザフスタン)にあるバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。数ヶ月前、ソユーズ10号がサリュート1号への初のドッキングを目指したが、失敗していた。しかしソユーズ11号のサリュート1号へのドッキングは6月7日に成功し、ゲオルギー・ドブロボルスキー(43歳)、ウラディスラフ・ボルコフ(35歳)、ビクトル・パツァーエフ(38歳)の3人のクルーは22日間滞在した。これは1973年5月から6月にかけてアメリカ合衆国のスカイラブ2号のミッションが行われるまで宇宙滞在の世界記録だった。

 サリュートに乗り込むと、彼らは煙臭い、焦げた匂いに気づいた。そして次の日は換気システムの修理に費やし、空気が清浄になるまでソユーズで待機することになった。サリュートでの滞在はとても生産的で、テレビの生放送なども行った。しかし11日目に火災が発生し、ステーション滞在は1週間短縮されることになった。ミッションの最大の目的はN-1ブースターの出来をみることだったが、この計画は延期された。また、彼らは1日に2回トレッドミルで運動することを求められていたが、トレッドミルを使うとステーション全体が振動してしまうということも分かった。プラウダはミッションの間中、ミッションのニュースや最新情報を伝えた。

 1971年6月30日、ソユーズ11号の帰還モジュール(再突入カプセル)は通常通り大気圏再突入をしたかに見えたが、カプセルを開けると死亡した3人の宇宙飛行士が発見された。3人は窒息死していたことがすぐに明らかになった。原因を究明すると、帰還モジュールとソユーズ本体を繋ぐバルブの部分に欠陥が見つかった。直径1mm以下のそのバルブは着陸の瞬間までカプセル内の気圧を保つはずだったが、この時は再突入前からカプセル内の空気を宇宙に漏らしてしまっていた。バルブは飛行士の椅子の下にあったので、空気がなくなる前に穴の場所を特定して塞ぐのは不可能であったと思われた。まだ上空168kmにいる時点で、わずか30秒の間にカプセル内の空気は全て失われたと推定された。数秒のうちにドブロボルスキーは異変に気づき、椅子を外してバルブを塞ごうとしたらしいが、残った時間が少なすぎた。バルブを手動で閉めるには60秒は必要で、ドブロボルスキーは亡くなる前に半分まで閉めていた。カプセル内には動けるスペースがほとんどなかったため、パツァーエフとボルコフは実質的に何もできなかった。

 当時のソユーズ宇宙船の帰還モジュールは、3人のクルーが宇宙服を着たまま乗り込める構造になっていなかった。ソユーズ10号がサリュートとのドッキングに失敗した後、11号のクルーを2人に減らして宇宙服を着せ、ドッキング前に船外活動を行ってドッキングシステムを点検することも提案されていたが、クルー候補たちは船外活動の訓練を受けていなかったため却下された。

 3人に対しては盛大な国葬が行われ、モスクワの赤の広場にある共同墓地に葬られた。アメリカ人宇宙飛行士のトーマス・スタッフォードは葬儀で棺を担いだ一人である。3人の名前は、月のクレーター、小惑星番号1789番から1791番の小惑星(ドブロボルスキー、ボルコフ、パツァーエフ)にも付けられている。

 この事故の後、ソユーズは2人乗り専用になり、全面的に改造され、発射と着陸の時には宇宙服を着用するようになった。1980年に初の有人飛行が行われたソユーズTからは再び3人乗りになったが、帰還モジュールには3人が宇宙服を着て搭乗できる広いスペースが設けられた。

 ドブロボルスキーとパツァーエフにとってはこれが初飛行、ボルコフにとっては2度目の飛行だった。飛行経験のあるボルコフではなくドブロボルスキーが船長になったことは、船内の人間関係に悪影響を及ぼした。

 ソユーズ11号には当初、アレクセイ・レオーノフ、ワレリー・クバソフ、ピョートル・コロディンの3人が搭乗予定だったが、打ち上げの4日前に行われたX線検査でクバソフが結核に感染していることが発見され、規定によりバックアップ・クルーの3人と交代になった。レオーノフは問題のバルブがしばしば誤作動を起こしていたことを認識しており、突入前の宇宙船との交信で、自動ではなく手動でバルブを操作するようにとアドバイスしていた。しかし結局クルーは自動でバルブを動作させ、死亡事故に至った。レオーノフは自分がソユーズ11号に乗っていれば事故は起こらなかったと自責の念にかられたという。更に、クルー交代の原因となったクバソフの結核は、その後、誤診であった事が判明した。





w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ