フォールズSL-1炉爆発事故



 フォールズSL-1炉爆発事故は、1961年1月3日、アメリカ合衆国アイダホ州東部のアイダホフォールズにあった海軍の軍事用の試験炉SL-1(Stationary Low-Power Reactor Number One)で発生した原子力事故。国際原子力事象評価尺度(INES)においてレベル4の事例である。


 運転出力は軍事基地のための暖房用の熱エネルギーとして400kW、電気出力として200kWの合計600kWであり、設計出力は3MWであった。当事者が死亡してしまったため事故の原因ははっきりとは分かっていないが、制御棒を運転員が誤って引き抜き、原子炉の暴走が起きたと考えられている。10センチまでしか引き出してはいけない制御棒が50センチも引き出されていたが、この制御棒は引き出すときにハウジングに引っかかることが事件前の映像からもわかっており、運転員が力まかせに引っ張ったものと考えられている。その結果大量の水蒸気が瞬時に発生し炉内が高圧になって炉が破壊された。この暴走により、13トンの原子炉容器が3メートル近く飛び上がった。事故で放出されたエネルギーは約50MJに相当し、炉内にあった約100万キュリーの核分裂生成物のうち約1パーセントが放出されたと考えられている。なお原子炉は暴走したものの、その後減速材である軽水が失われたため自然に停止したと考えられている。また、冷却材が失われても炉心が溶融しなかったのは、炉の出力が小さかったためとも考えられる。

 事故が起きたのは午後9時であり、当時夜勤で3人の運転員がいたが2人は即死であったと考えられる。事故発生後に救出隊が駆けつけたときは放射線の強さが非常に強く、1時間半は現場に近づく事さえできなかった。現場に入ると制御室には2人がおり、その内の2人がまだ生きていて救急車で搬送されたが、搬送中に死亡した。事故から数日後に残りの1人が原子炉の暴走により飛び出した制御棒に胸を貫かれ、天井に磔にされた状態で発見された。3人の遺体は、露出していた頭部や手などが余りにも汚染度が激しかったため、切断して高レベル放射性廃棄物として処理しなければならなくなった。搬送に使用した救急車も放射能に汚染されてしまったために、後に放射性廃棄物として処分しなければならなくなった。チェルノブイリ原子力発電所事故が起きるまでは原子炉で死者が出た唯一の事故として知られていた。この事故により制御棒の設計は見直され、放射線汚染の際の対処方法も開発された。


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