トルコ航空DC-10パリ墜落事故



 トルコ航空DC-10パリ墜落事故とは、1974年にフランスで発生したトルコ航空981便のDC-10-10(マクドネルダグラス社製)が墜落した航空事故である。


 1974年3月3日、当日はイギリスの航空会社のストライキがあり、数少ない運航便は混雑していた。トルコ航空981便も、航空会社職員のミスで一部乗客の案内が行われずに若干の空席があったものの、ほぼ満席となっていた。トルコ・イスタンブルを出発し、パリを経由して最終目的地であるイギリス・ロンドンに向かうためオルリー空港を離陸した。

 異常事態の発生は離陸から10分後、高度12000ft(3600m)に達した時だった。突然左側後部貨物室ドアが吹き飛んで、乗客6人が座席ごと空中に吸い出された。この時にパイロットが持っていたマニュアルが壁にたたきつけられる音がコックピットボイスレコーダーに収録されている。ドア脱落に伴い貨物室内の減圧で客室床が陥没し、床下を通っていたコントロールライン(操縦系統)が破損したため完全に操縦不能に陥った。また、吹き飛んだドアが水平尾翼に接触、機首が下がってエンジン推力も低下し、左に大きく傾きながら急降下し始めた。

 このとき、出発地のオルリー国際空港のレーダーで捉えた981便の機影が分裂したのが観察された。一つ(貨物室ドア)はその場にとどまったまま消滅し、もう一つ(機体)は左方向へ旋回し始めた。管制官は981便に呼びかけたが、981便からは混乱したトルコ語の会話および速度逸脱警報音と航路逸脱警報音が聞こえるだけであった。混乱した会話の内容は後に副操縦士の発した『機体が爆発した』と判明した。

 そして、パイロットの努力も虚しく操縦不能のままドアの脱落から1分17秒後の午後12時40分、981便は時速430ノット(796km/h)の高速で、パリの北東約37kmのオワーズ県・サンリス近郊のエルムノンヴィルの森に機首をわずかに下に向けた状態で墜落し、100m×700mに渡って木々をなぎ倒した。機体は一部の破片を除いて微塵に砕け散り、事故現場は犠牲者のちぎれた体や内臓が散乱する凄惨な様相を呈した。

 この事故で乗員12名、乗客334名の合わせて346名全員が犠牲になった。犠牲者のなかには48名の日本人が含まれており、その多くがこの春から大手都市銀行へ就職する内定者で、欧州への研修旅行の途中で悲劇に見舞われたものであった。また、東京オリンピックの400メートルハードル及び400メートルリレーで銀メダルを取ったイギリスの陸上選手ジョン・クーパーも犠牲となった。これらの犠牲者の遺体は、高速で森に激突したために損傷がひどく、遺族には遺品のみが手渡され、遺体を集めて荼毘に付した後に遺骨および消毒した現場の土を各遺族へ分けるという方法が採用された。

 この事故は、300人以上が搭乗した大型旅客機としては初の大事故となった。また、1977年3月27日にテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故が起こるまでは世界最大の航空事故であり、1985年8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、単独機航空事故として世界最悪人数の死亡事故だった。事故現場には現在、慰霊碑が建てられている。

 ドア脱落の原因はDC-10の貨物ドアを完全にロックしなかった空港従業員のミスである。そのためドアが機体の上昇と共に機内与圧と機外の気圧の圧力差に耐え切れずに脱落に至った。空港従業員はトルコ語、ドイツ語、フランス語を読解することが出来たが、ドアの注意書きが書かれていた言語であった英語を読解することができなかった。だが、そもそも半ドア状態であってもハンドル操作を強引に行なうと内部のピンが曲がってしまい、操縦室のロック確認灯が点灯する欠陥があり、更にドア開閉機構とロック機構が半ドア状態になりやすいという欠陥もあった。


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