豊浜トンネル岩盤崩落事故



 豊浜トンネル岩盤崩落事故(とよはまとんねるがんばんほうらくじこ)とは、1996年2月10日午前8時10分頃、古平町側の坑口付近において岩盤(最大高さ70m・最大幅50m・最大厚さ13m・重さ27000tと推計)が崩落。トンネル内を走行中だった北海道中央バスの積丹町余別発小樽駅前行き路線バス(主婦、男女中高校生、札幌雪祭りに向かう母娘、病院へ通う老人など乗客18名、運転手1名)と、後続の乗用車(1名乗車)の2台が直撃を受け、20名全員が死亡した事故である。


 トンネル内の事故現場は多数の瓦礫に塞がれ、内部に閉じ込められた車の様子が確認出来ず、さらに、巨大なまま上部に残留している岩盤を除去しない限りは再崩落の危険があり、内部に入ることができなかったため、岩盤を発破により海側へ滑らせて除去することとした。しかし、内部にいる人が生存している可能性も考慮し、岩盤除去に使用する爆薬の量が制限されたため、岩盤除去作業は難航した。11日より14日にかけて、4回にわたる発破作業の末ようやく岩盤を除去することができた。岩盤除去後に瓦礫は取り除かれたが、乗用車は原形をとどめておらず、また、バスは3mあった高さが1mにまで押し潰された有様であり、被災者は全員が激しく圧壊損傷した遺体で発見される結果となった。そのため死因は全員とも圧死で、ほぼ即死状態であったと考えられる。

 2回目の発破作業後、崩れた岩盤が偶然に鬼の顔のように見えたことから、この顔は「被災者の怨念」と報道され、一時期話題になった。この事故の犠牲になった高校生の遺品で、無傷で発見されたポータブルMDプレーヤーの中の曲が福山雅治だったことから、それを知った福山雅治が墓参りに訪れたエピソードがある。

 崩落に至った原因としては、付近の地下水が湧出している部分が厳冬期に凍結し、地下水圧の上昇を毎年繰り返すことで、岩盤の亀裂を徐々に成長させたためと見られている。1991年と1994年にも現場付近で小規模な崩落が起きており、安全対策を怠ったとして北海道開発局の元幹部2名が書類送検されたが、不起訴処分となっている。遺族の一部は責任を追及しようと、道路管理者である国を相手取り民事訴訟を起こしたが、判決では賠償金の支払いは命じたものの、責任については明確にされなかった。

 崩落現場は入り江状にやや奥まっているため、現在は両側の海岸線からは現場方面を望むことはできない。また、海岸線は切り立った崖のため、現場への到達は徒歩では困難で、船でしか行けない。なお、現行豊浜トンネルの古平側抗口(旧セタカムイトンネルの古平側抗口)脇には防災祈念公園として駐車場とトイレを新設。その敷地内に慰霊碑が設置され、誰でも常時訪れることができるほか、トイレ隣には事故概要とトンネル防災に関する展示コーナーも併設されている。


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