玄倉川水難事故



 玄倉川水難事故(くろくらがわすいなんじこ)は1999年8月14日に神奈川県足柄上郡山北町で発生した水難事故である。


 横浜市内の廃棄物処理業者の男性社員、子供6人を含むその家族、さらに社員の婚約者・女友達を含む25人は、1999年8月13日早朝より玄倉川の中州でキャンプを開始した。当時隆盛しつつあった「オートキャンプ・ブーム」に加え、ペルセウス座流星群の極大、さらにお盆休みの時期にあたり、遭難した横浜市内の一行を含め、玄倉川ではこの日、キャンプ指定地外の六ヵ所に50張り程度のテントが張られていた。

 しかし、熱帯低気圧の影響で15時頃から降水がはじまり、15時20分に玄倉ダム管理事務所職員がハンドマイクで観光客に警告し、退避を促したところ、大部分の観光客はこの警告に従って退去した。一行25人のうち4人は日帰り参加のため、幕営地を離れて帰宅したが、残る21人はキャンプを続けていた。また、近隣住民が避難を促したが、冷笑しながら反論したと言われている。

 神奈川県内全域に大雨洪水注意報が発令され、19時45分頃になると雨足が激しくなり、玄倉ダム職員が事故現場の5km上流の玄倉ダムの放流サイレンを鳴らすとともに、一行に直接警告するが拒否されたため、警察官に通報した。

 20時20分に玄倉ダムの放流を開始。その後、ダム職員と警察官が再度警告。一行のうち、比較的年齢の高い社員とその妻ら3名が指示に応じて中州を離れ、自動車に退避する。この際、彼らは他の仲間も誘ったが拒否されたという。この時点で、遭難した18人以外は、他のグループも含めてすべて中州から退避していた。

 22時30分頃、警察官が3度目の警告を行うが、非常に消極的・拒否的な反応に遭う(泥酔状態で「うるせえ、警察にそんなこと言われる筋合いはない」と暴言を吐いたと言われている)。警察官はやむなく、万一の場合は車が置かれた左岸ではなく、岸は断崖になっているものの河床が高い右岸側の斜面に速やかに逃げるように指示して退去した。

 翌8月14日5時35分、降雨はいよいよ激しくなり、神奈川全域に大雨洪水警報が発令された。6時頃、前夜に撤収したメンバーが、川を渡ってテントに残っている仲間に退去を呼びかけるが、泥酔の末の就寝中なのか反応なし。まだ水流は膝下ぐらいの深さで、なんとか渡渉可能だった。6時35分、豪雨による増水にともない、貯水機能のない玄倉ダムは本格的に放流を開始した。7時30分頃に警察官が巡回し、なんとかテントまで2メートル付近まで近づき退避を呼びかけるが、熟睡中なのか無視を決め込んだのか反応がなかった。8時04分、熱帯低気圧の接近で、いよいよ本格的な暴風雨となり、前夜に岸に避難した社員が消防に救助要請をした。

 8時30分頃、すぐ下流の立間堰堤の水深が普段より85cm高い1m程度となり、中州も水没した。岸からの距離は80メートルほどになっていた。膝越し以上の水位の渡渉は、通常の流れであってもザイルがないと大人でも危険であり、なおかつ増水して急流となっており、自力での退避はもはや不可能となった。すでにテントは流され、中洲で野営した横浜市内の一行はパニック状態になった。

 9時07分、足柄上消防組合の本部から救助隊5人が通報を受けて現場に到着。渡渉による救助を試みるが、激しい水流のため断念する。もともとリバー・レスキューの要員は配置されておらず、またお盆の土曜日で、組合本部は12人、2つの分署に各5人の当直体制だった。約20人に増えたのは流失直前の11時半だった。一方、松田警察署も当直体制にあり、まず6人を送り、徐々に増員することとなった。10時頃、レスキュー隊員11名のうち2名が断崖伝いに対岸に到着。放送局のテレビカメラも現地に到着し、取材を開始した。救助ヘリコプターの出動が要請されるが、熱帯低気圧による強風と、複雑な谷あいに低く垂れた濃雲のため二次災害が懸念され、却下された。ちなみに、報道用のヘリコプターも当日は現場に近づけず、上空からの映像は皆無である。このような状況下でヘリを飛ばすという行為は乱気流及び視程不良によって墜落という二次災害が発生しかねないという状況は火を見るより明らかであった。また、ハシゴ車による救出も、路肩が弱く安定が維持できないため不可能であり、ロープによる救出以外に方法はなかった。

 10時30分頃よりレスキュー隊が対岸に救命索発射銃で救助用リードロープの発射を試みるが、対岸の樹木に引っ掛かってしまった。15分後に再びロープが発射されるが、一射目のロープが絡まり、また水圧と流木に妨げられてメインロープが遭難者に届かなかった。すでにテントは流され、3本のビーチ・パラソルの支柱を中心に、男性たちが上流側で踏ん張って水流をやわらげようとし、中央部に女性や子供が寄り添って雨風を避け、下流側で乳幼児を抱いた男性がたたずんでいる様子や、「ヘリコプターを飛ばせ」と要求する男女の様子がテレビで速報された。

 玄倉ダムが警察からの要請を受け放流を中止したが、玄倉ダムは発電用ダムで貯水能力に乏しいため、すぐに満水となり、崩壊の危機に直面。やむなく崩壊防止のために放流再開した。そして11時38分、水深が2m近くになる。水位はみるみる胸にまで達し、救援隊や報道関係者の見守る前で、あっという間に18人全員が濁流に流された。この時、1歳の甥を抱いていた伯父がとっさに子供を岸に向って放り投げ、別グループのキャンプ客が危険を顧みず救い上げている。この子供の父親と姉を含む大人3名、子供1名も対岸に流れ着く。しかし、残りの13名はすぐ下流の立間堰堤から流れ落ち、以後は姿が確認できなくなった。

 12時14分、現地本部が設置され、下流の丹沢湖では大雨のもとでボートによる捜索が開始された。翌8月15日9時頃、警察、消防、自衛隊の救助チームが対岸に流れ着いて夜を過ごした4名を救助。午後、丹沢湖で2遺体発見。翌8月16日より盆休みを返上し、警察・消防・自衛隊は340人体制で捜索開始。大雨でダムまで流れ出した流木など浮遊物が多く、捜索は困難をきわめた。また、地元自治体や近隣住民も捜索活動を支援したほか、飲料水需要の確保を目的に建設された三保ダムは捜索協力のため、丹沢湖貯水の大量放水を実施した。8月29日、自衛隊による捜索活動打ち切りの直前になって、最後まで行方不明だった1歳児の遺体が発見される。これで社員5名(48、33、31、26、25歳)と妻2名(30、28歳)、男児(5歳)、女児(9、9、1歳)、社員が連れてきた女性2名(27、25歳)の13名全員の遺体が丹沢湖から収容された。

 この水難事故においては、キャンプ客が水に流される瞬間がテレビで中継されたため、世間に大きな衝撃を与えた。この事故を契機に国土交通省では「危険が内在する河川の自然性を踏まえた河川利用及び安全確保のあり方に関する研究会」が開かれた。神奈川県をはじめとする各自治体においても同様の河川の利用と安全に関する議論が行なわれた。また、遭難者たちが悪天候にもかかわらず中州で野営という無謀な行動をとったうえ(そもそもキャンプなどにおいて、中州や河川沿岸に設営することは、一般的にはやってはならないこととして挙げられる行為である)、何度も繰り返されたダム職員や警察官の警告を拒絶し続けたことから、遭難者たちの自己責任を問う意見が多く出るなど、悲惨な結果となったにもかかわらず強い非難が向けられた。なお、救助や捜索に要した費用のうち、地元自治体である山北町が負担した額は4800万円である。神奈川県警察が要した費用は、人件費だけで約1億円にのぼった。これらの費用はすべて公費負担された。


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