小説(テニスの王子様)

◆飴と鞭
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 猛暑の夏休みの部活は、常よりも早くに始まる。
 そうなると、時間を間違えて遅刻してしまう者もいる訳で…
「越前」
 眉間の皺を二割増しにして、手塚が遅刻者の名を呼んだ。
「連続遅刻記録更新、おめでとう、越前」
 そう言って通り過ぎた乾の言葉に、更に手塚は眉間に皺を寄せる。
「夏休みに入ったばかりならともかく、二週間も経って遅刻してくるのはお前だけだ」
「…起きられないんスよ」
 ボソリと、それでも言い返してくるリョーマに、手塚は大きな溜息をついた。
「越前…」
「何周っスか?」
 罰走を言い渡されるのは解っているので、そう訊いたのだが、返ってきたのは全く予想していなかった言葉だった。
「コート周りの草むしりだ」
「え?」
「グラウンドを走るだけでは、お前は堪えないから罰にならん」
 そう言って、リョーマにゴミ袋を手渡した。
「ちょっ、なんでこんなの用意してんすか」
「今日も遅刻だろうと思ったのでな」
「………」
「そう思われたくなければ遅刻をなくすことだ。ほら、早く行け」
 言い渡して、手塚はリョーマから離れていった。
 そうなると手塚は撤回は絶対にないので、リョーマはとぼとぼとコートを出て行った。
(恋人なんだから、もう少し甘くしてくれてもいいのに)
 そう思いながらも、それをしないのが手塚国光だと解っているし、そういうところも含めてリョーマは手塚が好きなのだから、仕方がない。
 それに、一応は自分に非があることを認めている。
(…さっさと終わらせよう)


 早く終わらせようと思っていたが、思いのほか雑草は多く、遅々として進まない。
 暑さに加えて、しゃがんだままの作業はかなりの体力を消費する。グランウンドを数十周する何倍も疲れていた。
 すぐ側に涼しそうな木陰があるせいで、余計に暑さを感じる。
(確かにキツイな、これ…)
 草むしりは、とても1日で終わるとは思えない。となれば、明日以降も罰はこれということになる。
 遅刻しなければ良いのだが、実行は難しい。
「………」
 気が滅入りそうになっていると、リョーマに声がかけられた。
「越前」
 声の方に顔を向けると、木陰に手塚が立っていた。
「…何すか」
 疲れのせいで、声のトーンが下がる。
「昼休憩だ。こちらへ来い」
 言われてコートに目を向けると、そこには誰もいなかった。
 ふぅと息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。
 立ちくらみがないのを確認して、木陰へと足を向ける。
 手塚の側まで行くと、腕を引かれて木の裏側に引っ張り込まれた。
「なに…」
 リョーマが何かを言う前に、口を塞がれる。
 薄く開いた唇から口内に何かが流れ込む。
 コクリと飲みこむと、それは思いのほか喉を潤した。
 手塚は手に持っていたスポーツドリンクを口に含み、もう一度、口移しでリョーマに与える。
 飲みこんだ後も唇を離さず、舌を挿し込んで絡め合う。
 十分に堪能して、ようやく唇が離れていった。
「部長がこんなことして、いいの?」
「脱水症の治療をしただけだ」
「じゃ、もう少し治療してほしいけど?」
 上目遣いで見上げると、手塚がふっと表情を緩める。
「後で…な」
「後?」
「飯が先だ」
 言って、足元にある物を指さした。
 手塚の足元には、弁当というには大きな包みが置いてある。
「母が、お前にも…と大量に作ったからな、食べて貰わないと困る」
 手塚が苦笑混じりに言うと、リョーマは瞳を輝かせる。
「彩菜さんのご飯!」
 手塚の母、彩菜の作る料理はどれも美味しくて、リョーマのお気に入りだった。
「今日の昼休憩は長めにとってあるから、食べた後にゆっくりできる。準備しておくから、お前は手を洗ってこい」
「うん!」
 素直に返事をして、嬉しそうに走っていく。
 その姿を薄っすらと笑みを浮かべて見送って、包みを広げて用意する。
 弁当の中身はリョーマの好物ばかりで、戻ってきたリョーマは更に瞳を輝かせて早速口にする。


 食べ終わった後、リョーマは手塚の足を枕にして横になった。
「国光に膝枕させられるのって、俺だけだよね」
 嬉しそうに言って、目を閉じる。
「リョーマ」
「何?」
「明日は遅刻するなよ」
「うん…」
 と、自信なげな答が返るのに苦笑して、手塚はリョーマに口づけた。
「…さっきの続き?」
 閉じた目を開いて、悪戯っぽく訊いてくる。
「これは、おまけだ」
「…国光がキスしたいだけ?」
「そうだな」
「えっ」
 冗談のつもりの言葉に真面目に返事がきて、リョーマが驚いた顔をすると、もう一度口づけられた。
「今日は泊まりに来い。そうすれば、遅刻はしないだろう?」
「いいの?」
「ああ」
「じゃ、行く」
「続きは…その時にな」
 その言葉に、リョーマが顔を赤くして頷く。
「疲れただろう、今は休め。時間になったら起こしてやる」
「うん…」
 答えて目を閉じたリョーマから、すぐに寝息が聞こえて、手塚の顔に笑みが浮かぶ。
 リョーマの頭を撫でてから、手塚も目を閉じる。
 練習再開までの、今は、二人だけの穏やかな時間。


 爽やかな風が、二人を熱から守るように吹き抜けていった。

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