ゆにゃは三人姉妹の長女。母は放任主義、父はあきらめにより、何も言わなくなり、というか、我が人生を歩むという感じで現在も人生を歩んでいる。 物心ついたころから、生意気にも独立心が強く、親に内緒で行動を起こすことが多かった。 そんなもんだから、娘とアメリカ行きを思いつき、語学留学生としてこの地にやってきた。過去の経験から英語は話せたため、語学学校はとても退屈なものとなり、ここで何ができるかと考え、UCLAの大学病院で心臓移植の研究の手伝いをすることになった。そこにいることが心地良く、半年滞在の予定がいつの間にか二年の月日が流れていた。娘もいつの間にか三歳になっていて。このままではいけないと、ビジネス計画をたてた。娘といつも一緒にいられる仕事とと考えついたのが託児所。その計画をたてたいるうちにグループホームというものに行きついた。もともと子供の世話をするのが好きだから、迷わず進めてみた。しかし、外国人の身分で英語が母国語でないことにかなりの差別や詐欺まがいなことにあい、多少時間はかかったものの、2003にはノンプロフィットの会社、施設設立となった。 いざ、始まるとこれまた、以外や以外にとても大変で想像のつかない日々となっていったが、神が与えてくれた送りものと信じ、2007年には二件目の施設を設立。それ以来、ご想像にお任せの日々。 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
小学校三年生で映画やプールにいったりとまあ、これには三歳年上にいとこがいたからその人いとこから学んだのだけど。今、うちの娘が其の年ごろなんだけど、ちょっと考えれない。 中学に入ってからはあまり、良い生徒ではなかったし。体育の女性教師をプールに落としてみたり、音楽の女性教師をなかしてみたりと。。今考えるととんでもないことをやらかしたと。。反省。 高校では恋して、その人に会うためにバイトに通い。おかげで、その恋も実り、お金もかなりたまり、高校二年の春休みに初海外旅行(香港旅行)に行くことができた。高校三年の夏休みにはオーストラリアにホームステイすることもできた。 そんなことから語学を学び、高校卒業語はオーストラリアに留学を夢みたものの w友達に教えるw [編集] 無料ホームページ作成は@peps! |